将来の電力事情に関する著書を、息子が発行しました [トピックス(日記)]
・・・この記事は左欄のマイカテゴリー「トピックス(日記)」の記事です・・・
このブログ記事は、多少自慢話になることをお許しください。
私の子供は、3人(女2名、男1名)の長男ですが、中央大学工学部大学院を卒業し、一旦 民間の企業の技術開発部門に就職し、東京大学大学院(博士課程)に入学し現在学生の身分ながら東大の教授の監修を得て著書を初めて今回発行しました。 両大学院とも学費は、自分で稼ぎながら親に一切の迷惑をかけない苦労学生です。
著書の概略は、日本の電力事情の将来、現在の太陽光発電の普及は、一般家庭の電力代に上乗せされて買取価格が設定されていますが、以後は買い取りがなくなった場合の電力供給事情と信頼性など、一般の方々でも興味がもてる内容に成っています。
発行者は技術専門誌のオーム社
著書タイトルと購入先
「電力流通とP2P・ブロックチェーン: ポストFIT時代の電力ビジネス」
興味がもてる方、一読願えれば 彼は喜びますのでよろしくお願いいたします。
記事提供 By:
東京オリンピックで聖火を持って走りました(石川県内随走) [トピックス(日記)]
・・・この記事は左欄「マイカテゴリー」の{トピックス(日記)}記事です・・・
この記事は、Yahoo!ブログが閉鎖されるため H30年('18),Yahoo!ブログ記事の転載です
私を知る、故郷(石川県羽咋市)の人であれば生家が当時どれほど貧しかったか知る人が多いと思います。
それを詳しく書けば、時代に翻弄されて苦労し亡くなった親の尊厳に関わることでもあるのでこれくらいの表現に留めさせて頂きます。
私は、小学校の頃から高校時代まで、田畑の手伝い、薪拾い、新聞配達、道路・河川の土方人夫として等、学費や親を助けるために子供ながら必死だったことを今になって思い出します。
唯一、息抜きでき楽しい時間は、高校でのテニス部活動だった。 確かアルバイトで買ったラケットをいつも枕元に置いて寝ていたことを思い出す。
ある時、校長先生から呼び出しを受けた、「僕は悪いことをしたかな~、親に迷惑をかけてしまうのではないかと・・・」恐怖心を抱きながら校長室に入った。 校長から「君に、随走聖火ランナーとして石川県の地域を走ってもらうよ!」と言われ、そのまま恐怖心を抱きながら退室した。手には、聖火ランナーとして一式の道具(シャツ、パンツ、スニーカ、ソックス 、後にソックスとスニカーは紛失)。
聖火トーチは、現地で手渡しされることになっていた。 (聖火の引継ぎ点火)
この事が名誉なことと知らず、誰にも話さす、家に持ち帰った。
テニスクラブでの活動が評価されたのだろうか? 恐怖心で選ばられた理由を問出せなかった。
暫くして、聖火隊の編成、聖火ランナーとしてのマナーや走り方の練習連絡があった。
親には校長からの話や、聖火ランナーグッズを受領したことは一切伝えていなかった。シャツにゼッケンを縫い合わせてもらいたいと母親に伝え受領したセットを母に渡した。
母親も、初めは運動会で着るものぐらいの認識だったと思う。 蛇足だが、ブログのログインIDは「住所の羽咋市 "hakui"、母の名前 "midori" で合わせて「hakuimidori」と登録した。
夜中に、誰かが大きな声ですすり泣く音がする、そっと破れた障子からすすり泣く方を見ると
「ゼッケン」をランナーシャツに縫い付けている母親の姿だった。 後で、母親から、「こんなに貧しい家の子が、聖火を持って走れる」ことの喜びと世間への感謝で泣いていたと聞かされた。
随走者も本物の聖火ランナーを持って走る、その日が来た。空にはヘリコプターが飛び中継をしていた。
ニュース画面では、自分の顔が瞬間にではあったが写っていた。
オリンピックのニュースや話題が多くなり、初めて自分が聖火隊と名誉な事だと感じ始めた。
今でいう、カメラもない、ましてや地域の人達、親戚に自分が聖歌隊の一員だと知らせていないため、周りから受ける感動は何もなく終えてしまった。
ああ~、あれから56年! ずいぶんと年月を重ねたことになる。2020年の東京オリンピックは、私にとって「2回目のオリンピック」になる。 こうして自分が存在すること自体、社会やお世話になった人々に感謝で一杯である。
「オリンピック」という言葉を聞くと今でも「ピクッ」と体が反応してしまう。
このオリンピックでの「シャツとパンツ」は家宝として大切に保管しています。
私からの心からのメッセージとして、「全てに感謝、全ての人に感謝」の気持ちです。
記事提供 By:
この記事は、Yahoo!ブログが閉鎖されるため H30年('18),Yahoo!ブログ記事の転載です
私の青春時代に東京オリンピック年だった。
私を知る、故郷(石川県羽咋市)の人であれば生家が当時どれほど貧しかったか知る人が多いと思います。
それを詳しく書けば、時代に翻弄されて苦労し亡くなった親の尊厳に関わることでもあるのでこれくらいの表現に留めさせて頂きます。
私は、小学校の頃から高校時代まで、田畑の手伝い、薪拾い、新聞配達、道路・河川の土方人夫として等、学費や親を助けるために子供ながら必死だったことを今になって思い出します。
唯一、息抜きでき楽しい時間は、高校でのテニス部活動だった。 確かアルバイトで買ったラケットをいつも枕元に置いて寝ていたことを思い出す。
ある時、校長先生から呼び出しを受けた、「僕は悪いことをしたかな~、親に迷惑をかけてしまうのではないかと・・・」恐怖心を抱きながら校長室に入った。 校長から「君に、随走聖火ランナーとして石川県の地域を走ってもらうよ!」と言われ、そのまま恐怖心を抱きながら退室した。手には、聖火ランナーとして一式の道具(シャツ、パンツ、スニーカ、ソックス 、後にソックスとスニカーは紛失)。
聖火トーチは、現地で手渡しされることになっていた。 (聖火の引継ぎ点火)
この事が名誉なことと知らず、誰にも話さす、家に持ち帰った。
テニスクラブでの活動が評価されたのだろうか? 恐怖心で選ばられた理由を問出せなかった。
暫くして、聖火隊の編成、聖火ランナーとしてのマナーや走り方の練習連絡があった。
親には校長からの話や、聖火ランナーグッズを受領したことは一切伝えていなかった。シャツにゼッケンを縫い合わせてもらいたいと母親に伝え受領したセットを母に渡した。
母親も、初めは運動会で着るものぐらいの認識だったと思う。 蛇足だが、ブログのログインIDは「住所の羽咋市 "hakui"、母の名前 "midori" で合わせて「hakuimidori」と登録した。
夜中に、誰かが大きな声ですすり泣く音がする、そっと破れた障子からすすり泣く方を見ると
「ゼッケン」をランナーシャツに縫い付けている母親の姿だった。 後で、母親から、「こんなに貧しい家の子が、聖火を持って走れる」ことの喜びと世間への感謝で泣いていたと聞かされた。
随走者も本物の聖火ランナーを持って走る、その日が来た。空にはヘリコプターが飛び中継をしていた。
ニュース画面では、自分の顔が瞬間にではあったが写っていた。
オリンピックのニュースや話題が多くなり、初めて自分が聖火隊と名誉な事だと感じ始めた。
今でいう、カメラもない、ましてや地域の人達、親戚に自分が聖歌隊の一員だと知らせていないため、周りから受ける感動は何もなく終えてしまった。
ああ~、あれから56年! ずいぶんと年月を重ねたことになる。2020年の東京オリンピックは、私にとって「2回目のオリンピック」になる。 こうして自分が存在すること自体、社会やお世話になった人々に感謝で一杯である。
「オリンピック」という言葉を聞くと今でも「ピクッ」と体が反応してしまう。
このオリンピックでの「シャツとパンツ」は家宝として大切に保管しています。
私からの心からのメッセージとして、「全てに感謝、全ての人に感謝」の気持ちです。
記事提供 By:
今春の生徒さん作品紹介します [陶芸教室紹介]
・・・この記事は左欄「マイカテゴリー」の{陶芸教室紹介)}記事です・・・
Yahoo!ブログが閉鎖されるため、徐々にSo-netに移籍中です。
https://blogs.yahoo.co.jp/hakuimidori/41797254.html
◎粘土を一度も触ったことがないが!
◎美的感覚や知識は全くありませんが!
◎不器用で何もできないのですが!
◎自分の好きなことが分からないのですが!
と言って教室に来られた生徒さんも、今は立派な陶芸家に・・・。
「自分探しのお手伝い」ができれば幸いです
楽しいひと時を過ごせるようにしましょう。
記事提供 By: